再度、ペンシルバニアからニューヨークへの日帰り。
国連本部内のDining roomで催されるセレモニーに出席のため。
今回のアメリカ訪問のきっかけのひとつは、中学生時代の同級生Fumiko さんからこのイベントに誘われたこと。
彼女はアメリカの大学に進学、就職、そしてアメリカで生活。
彼女のこれまでの仕事柄、そして何よりその人柄から人脈は非常に広い。
この度の国連本部内の会場で催されるセレモニーの主催者と懇意にされていることから、セレモニーの協力者として、セレモニーの表彰者10名に手渡す記念品を、彼女の依頼で、私他3人が分担して作らせてもらいました。
彼女の人生の道のりには、いろいろな苦労があったのではないかと私は思う。
そんな彼女は、いつも世界を視野に仕事をしなけりゃダメよ!と励ましてくれて、記念品のたった一部を作ったに過ぎない私を、各国の出席者に紹介してあげようと、宿泊場所も用意するからとニューヨークまで誘ってくれた。
セレモニーのテーブルの一部に、記念品の製作に関わった作家の作品と、紹介カードを並べてもらい、各国の出席者にPRの機会をいただきました。
Fumikoさんには感謝に堪えない。
ベツレヘムを散策
ニューヨークからペンシルバニアに戻って、宿泊させていただいている最寄りの町、ベツレヘムを散策しました。
ベツレヘムは、1800年半ばごろから鉄鋼業で栄えた企業城下町として、都市を形成していましたが、1970年代には鉄鋼業の衰退により、都市の成長は止まることになりました。
豊かに栄えた往時の古い街並みを残した、大変美しい所でした。
ニューヨーク 私の聖地巡礼
マンハッタン・アッパーイーストサイドのお取扱い店を訪問して、わずかな時間の中で唯一訪れたのが、セントラルパーク内にあるジョンレノンを偲んで造られた、ストロベリーフィールズとアッパーウエストサイドにある、かつての住まいのダコタハウス。
私にとっての聖地巡礼。
私が今も大好きな、かつてビートルズのメンバーだった、ジョン・レノンが凶弾に倒れたのが1980年。それから5年後のジョンの45歳の誕生日となるはずであった10月9日に当時のニューヨーク市長とジョンの妻であるオノ・ヨーコによって造られた記念碑のストロベリーフィールズ。
そこには世界中からやって来たと思われる多くの人が、途切れることなくその場を見つめ、記念の写真を撮っていく姿が見られました。
ジョンレノンは、強い意志を持って歌を歌い、メッセージを送り続けていました。
私もいつか、意思を持って作品を創れるようになりたいと思いました。
ニューヨークのお取扱い店を訪問
ニューヨークでのイベントセレモニーの主催者の方のご自宅を訪問。
セントラルパークを真下に見下ろすビルの10階。
主催者の方にご挨拶とイベントの準備。
昼食の後、マンハッタンのアッパーイーストサイドにある、お取引先の器のお店を訪問させていただきました。
日本人のオーナーさんからは、昨年秋にお取引のご連絡をいただき、オーナーさんの来日に合わせて、京都でお会いさせていただきました。
息子家族がアメリカに住んでいるので、機会があればいつか訪問したいですと言っていたのですが、こんなに早くお伺いすることになるとは思っていませんでした。
今回は、事前に追加でのご注文もいただいていましたので、作品を直接持参し、ご挨拶に伺いました。
ニューヨークでも閑静な住宅街にある、とても落ち着いた雰囲気の素敵なお店でした。
夜には、オーナーご夫妻のご招待で、私たち夫婦は食事をご一緒させていただきました。 ニューヨークで30年以上器の販売をされておられて、その思いをお聞かせいただき、作り手側としても思いを新たにしました。
列車でニューヨークへ
日本からの出席者が全員揃ったところで、この日は、ニューヨーク国連本部での式典に先駆けて、主催者の方のご自宅を訪問し、ご挨拶と式典準備を行うため、列車でニューヨークへ向かいました。
そして、私たち夫婦はニューヨークのお取引先のお店を訪問し、ご挨拶と納品に行くことにしました。
私たちの滞在先から車で約30分、ニュージャージー州の「High Bridge Station」より列車でニューヨークの中心に位置する「Penn Station」までの約1時間半の列車の移動です。
列車の始発駅「High Bridge Station」は無人駅で改札もない。しかしそこに停車していたのは、銀色のボディーの二階建て車両。なんと豪華な列車ではないかと乗り込んでみると、二階建てではあるけれどごく普通の車両。座席のシートは悪くないが、向きを変えられない固定式。窓は汚れていて外がきれいに見えない。
各駅停車の普通列車で、もちろん食堂車や車内販売はありません。
切符の検札に駅員さんが回ってくる。切符は一般的にはインターネットで購入して、スマホで見せるようになっているようです。
検札の済んだ席のシートに紙を挟んで目印にしていくと言う、アナログなやり方。
車内の行き先表示は、24ドットぐらいのオレンジ色の電光掲示板があるのみで、日本の昭和な感じ。
しかし初めて乗るアメリカの列車に気分は上がる。
アメリカに集まった方々
同級生のFumiko Greenさんが関わっている、ニューヨーク国連本部でのセレモニーの開催にあたり、彼女の呼びかけで、集まった日本人の方々が、ペンシルベニア州アレンタウン近郊の宿泊先のお宅に、それぞれ集まって来ました。
セレモニーの記念品製作に関わったガラスのサンドブラスト作家のやはり同級生の藤本悦子さん、そして私と妻。
教育ジャーナリストとして発展途上国および戦後間もない国での教育支援を行うNPO法人なかよし学園代表の中村雄一さん。
マイアミでのコンサートと書道パフォーマンスを終えて合流された、指揮者の守山俊吾さん。ピアニストの村上祥子さん。国際的な書道家の近藤朱鳳さん。
広大な敷地の丘の上に建つお宅は、本当に素晴らしく、集まった凄い方々とのひと時は、とても楽しかった。
アメリカ滞在の旅程
1ヶ月のアメリカ滞在の旅程は、息子家族のいるアメリカ西海岸のサクラメント近郊に行き、家族用の荷物を届けて、友達の居る東海岸へニューヨーク経由でペンシルバニアに入り、その後は、再び西海岸サクラメントへ戻り息子家族の所にしばらく滞在して、関西空港に帰ると言うもの
旅慣れない私達にとって無理なく、出来るだけ安いチケットを探しての旅。
日本からサクラメント国際空港への直行便がないため、ハワイアンエアのホノルル経由で息子家族の居るカリフォルニアのサクラメント空港に先ず入りました。
息子家族に持参した荷物を届けて、サクラメントからユナイテッド航空でニューヨークのニューアーク国際空港経由で友達の居るペンシルバニア州のアレンタウン空港に入り、友達の知り合いの家などに泊まらせてもらいました。
ニューアーク国際空港からアレンタウン空港の移動は、飛行機のチケットとして買ったにもかかわらず、なんとユナイテッドのバスにより移動。
そこからニューヨークに2度行き、仕事関係の滞在を終え、息子家族のいるカリフォルニアにしばらく滞在して帰国しました。
私にとって8年ぶりの海外行きで、搭乗手続きから、セキュリティーチェックなど様変わりしていて、いささか隔世の感があり、国際線、国内線の乗り換えに、悪戦苦闘、四苦八苦しながらも、それも楽しくありました。
アメリカでの滞在目的について
この度の、アメリカ滞在の主な目的は、アメリカでは2店目となる、ニューヨーク・マンハッタンのアッパーイーストサイドにあるお店からお取り引きのご依頼をいただき、ご挨拶と追加納品の持参を兼ねて訪問させていただくこと。そして、アメリカに長く住んでいた、私の中学校時代の同級生のFumiko Greenさんが、ニューヨークの国連本部で開催されるセレモニーの表彰式のイベント主催者の協力者として、表彰式で贈る記念品のごく一部ですが、彼女の依頼で私が製作したことの縁で、国連本部でのイベントに招待してくれることになりました。
また、セレモニー会場で記念品の製作にかかわった3名の作家の紹介の場もいただけることになり、自らの作品の紹介をすること。
そして、私の息子家族が、カリフォルニアのサクラメント近郊に暮らしていて、昨年孫が生まれたことから、家族を訪問すること。
アメリカのクラフトショップやギャラリーを訪問して、海外でのクラフトの動向をつかむこと。
古物商として、ちょっぴりアメリカの古道具の仕入れなど。
一応このような目的を持ってのアメリカ滞在となりました。
写真は、宿泊させていただいた、ペンシルベニア州アレンタウン近郊のお住まいの前に広がる風景。
アメリカにて1ヶ月の滞在
いろいろなタイミングと巡り合わせで、夫婦で1ヶ月アメリカに行って来ました。



小さめのお椀を作る
少し小さめのお椀を作りました。
栗の木で、口径11センチ、高さ7センチでそのうち高台部分は、少し低めの1センチとしました。
ご高齢の方が、持ちやすく取り回しの良いお椀と言うことの、ご注文でした。
私の経験で、作らせていただいたお椀です。
私の作るお椀は、手彫りのごつごつしたお椀ですが、その分、すべりにくく、持ちやすいのではないかと、私は良いように考えています。
このお椀が、食事にささやかながら、味わいをプラスしてくれることを願っています。
事情によりブログを少しお休みいたします。
拙いブログですが、またの再開までしばらくおまちください。