有岡良益 氏の木の器

木の器を作りはじめたころは、いろんな木の器が見てみたかったのと、使ってみたかった。
大好きだった、工業デザイナーの故 秋岡芳夫さんの本の中に度々紹介される、香川県の木工家 有岡良益さんの木の器がとりわけ魅力的でした。
樹齢数百年経った肥松と呼ばれる、たっぷりと脂を含んだ松の木で作られた無塗装の器は、秋岡さんの本によると、十年ほど使い込むと、溜塗りの漆器のような器に完成すると紹介されていました。そのとき初めて無垢の木の器は使い込むほどに、独特の色合いと風合いが増し、器を美しくさせるということを知りました。
これを知ってから、どうしても有岡良益さんの肥松の器が欲しくなって、25年ほど前に購入しました。
販売されている肥松の器のそばに、それこそ使い込んだと思われる肥松の器が置いてあって、それは器全体に松脂がコーティングされた状態で、何とも言えない味のある美しい状態になっていました。日々使いながら、時折オリーブオイルなどを塗布して布で拭き込んでいくうちに、このような状態になるのだとか。
もう25年経つ買い求めた二つの肥松の器は、正直なところ日々使い込んだとは言えず、美しく完成するまでには至っていませんが、濃い飴色になった器に、木の器の良さをしみじみと感じています。
有岡良益さんは、2009年に亡くなられました。とても残念です。

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秋岡芳夫さんの本をいただきました

知り合いの木工家の方から、本をいただきました。
伝統工芸展にも出展されている木漆芸家の方から、本の整理をしているので、この本をあげましょうと、秋岡芳夫さんの本を3冊いただきました。
私が、以前に秋岡芳夫さんの本に出会ったことで、とても影響を受け、木工を本格的に始めるきっかけのひとつになったことをお話したことを覚えていただいていたようです。
たぶんもう絶版になっていると思われる故秋岡芳夫さんの本を、私に贈っていただいたことは、本当に嬉しく思いました。
それもすべて器と漆に関する本。
なんだか、しっかり器づくりをやって行きなさいと激励されているような気がします。
工業デザイナーだった故 秋岡芳夫さんは、器などの生活用品には、人の体に合った大きさがあることを常々力説されていました。
この本で、自身の製作する器が、とかく見栄などに意識がいきがちな点を、今一度見直していきたいと思います。

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薪ストーブと鋳物のアイテム

昨年末からお正月前後は、妙に暖かい日が続いて、工房の薪ストーブの出番が無い日も多かったのですが、さすがに最近は、本来の冬の姿に戻って、薪ストーブの本格的な季節となりました。
薪ストーブは、工房にとって大変重宝するアイテム。
もちろん第一に部屋を暖めてくれる。
火が燃えている姿を見ていると、心が休まる。
木工作業で出る木くずがすぐ焼却できる。
一日中湯が沸かせる。料理ができる。
なんと、すばらしいアイテムではないでしょうか。
と言うことで、薪ストーブにかかせないのが、ケトルと鍋。
愛用しているのは、東北の鋳物製のもの。ケトルは、所属している日本クラフトデザイン協会の会員の大先輩の増田尚紀氏のもの。まだ薪ストーブを使っていなかった、30年前にフォルムに惚れ込んで購入して、ずっと使っています。
鍋は、及源(oigen)ブランドのもので、これもスタイルと機能性に惚れ込んで購入したもの。
鋳物製のしっかりしたふたつのアイテムは、一日中ストーブの上にあって、スタイリッシュに空間を演出し(ちょっとストーブが小さいですが)、安らぎを与えてくれるお気に入りです。

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第2回 小野ハーフマラソン2015に参加

昨日12月6日に開催された、「第2回 小野ハーフマラソン2015」に参加しました。
日頃の運動不足の解消にと、昨年に引き続きエントリーしました。
昨年は、トイレの混雑に時間を取られ、かなり後方からのスターとなった反省を生かし、今年は早々にスタート地点の前半に並び、スタートの号砲から1分以内でスタートラインを越えることができました。
昨年より、少し密度の濃いトレーニングをしたせいか、いつもより若干、足が軽く感じたことと、スタートの雰囲気にのまれて、ややオーバーペース気味に、前半走ったことがたたって、折り返し地点までが苦しい走りに。折り返し手前で、かなり先を走っていた、同じ小野市内で木工をしている、ふじい製作所の藤井健一さんが、私に気付いて、大きく手を振ってくれて我に返り、なんとか折り返し地点からペースを戻すことができました。
ローカルな大会なので、沿道からご近所さんの声援いただいたり、小さな子供とハイタッチしながら、なんとかゴールすることができました。
ゴールタイムは、2時間04分と、とるに足らない記録ですが、昨年のタイムを10分短縮することができ、まあ無事完走できたことと、まだやれば少しはできるのかなと、楽しむことができたハーフマラソンでした。
今日は、筋肉痛と全身疲労に耐えながらの仕事で、運動不足の解消と言うより、早く疲労を取らないと仕事にならないハーフマラソンでした。

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ベトナムの手仕事に触れる旅 その2

2015年11月7日〜11月15日まで、ベトナムの手仕事に触れる旅に行ってきました。
 ベトナム北部の織物作品を求めて、首都ハノイから、中国国境に近いサパの次に訪れたのは、ラオス国境に近い山村のマイチャウ。
サパに比べると訪れる外国人は100分の1以下でしょうか。日本の昭和初期を思わせる、山間の静かな農村地帯。
一般民家を模した、竹のすのこを床にした高床式の建物を宿にして、村と田園地帯を廻ります。
村を自転車で回り、その後は山裾の田園地帯を分け入ってトレッキング。
一般民家は、ほぼ2階建で、足元が透けて見える竹のすのこを床にした2階が居住スペース。1階に相当する壁のない部分は、農作業と自然光の入る織物の作業スペース。
ごく自然な日常生活を垣間見ながら、ここでも美しい織物が生活をささえていることを感じることができました。
わずか1週間の短いベトナム旅行でしたが、喧騒と混沌のハノイ。自然と一体化した暮らしのサパとマイチャウ。どちらも生き生きとした人々の営みに魅力を感じるすばらしい国でした。
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ベトナムの手仕事に触れる旅 その1

2015年11月7日〜11月15日まで、ベトナムの手仕事に触れる旅に行っていました。
予てより、ベトナム北部の山岳地域で作られている、織物作品に興味があり、首都ハノイから、中国国境に近いサパ、ラオス国境に近いマイチャウを訪ねました。
限られた短い時間のなかでの行動なので、ハノイで現地ツアーに申し込んでの旅だったのですが、それぞれの地域の生活に根差した手仕事を垣間見ることができ、充実した時間を過ごすことができました。
ハノイの旧市街の安ホテルをベースにしたことから、これぞベトナムと言う混沌とした街に衝撃を受けましたが、これも次第に慣れて、現地の人たちと道端の屋台で、通り過ぎる物売りの人たちなどを眺めながらの食事も楽しい時間になりました。
最初に訪れたのは、中国国境に近い山岳観光地として有名なサパ。
現地でツアーガイドをしてくれたのは、幼児を背負った19歳の村の女性。そしてツアーのフォロー役ともの売りを兼ねている7歳と10歳の少女に伴われて、数名の欧米の人たちとともに村や果てしなく続く段々畑を巡ります。美しい民族衣装に身にまとった女性たちは、いつも刺繍をしていたり、麻の繊維を手に巻きつけて糸作りをしていたりと、織物が重要な生活の一部となっていることを垣間見ることができました。のどかな2日間のサパの旅はあっと言う間に終わりました。

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竹籠

昔からある生活道具が好きで、いろいろ集めだしたことが高じて、古物商の許可を取って、工房ギャラリーの片隅で販売を始めてしまいました。
そんな中でもなんとなく竹籠が好きで、いろいろ集めましたが、ここに来られるお客様も購入される方が多く、意外と竹籠が好きな方が多いと感じました。
私が扱っている竹籠は、農作業などの生活用具として作られたものが多いのですが、実用性や堅牢であることを意識して作られたもので、特別に装飾性を意識して作られたものではありません。しかしごく普通の日用品としての機能性の中から自然に生み出された姿が、とても美しく感じます。
そして使い込まれた竹の渋い色合いも魅力的です。
私たちが日ごろ製作している作品も、竹籠のように、実用性の中から生み出されたものが、自然に美しいと感じられるようになればと思いますが、まだまだ遠く及ばない世界のように感じます。

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ふえろう村でのコンサート

昨日、工房から車で3分のところにある「ふえろう村」でコンサート「Summer  Festa  in  ONO」が開催されるとの案内を、フェイスブック仲間の方からいただき、工房からすぐ近くなので、仕事の休憩を兼ねて、行ってきました。
会場のふえろう村は、かつて1980年代をどう生きるか?を問いかける本として出版された、「もうひとつの日本地図」と言う本に紹介されていて知ったのですが、この地では、1982年に有機農業を志す人達への塾として始められ、現在は、農業生産法人 ふえろう村塾として、養豚牧場 生産加工として運営されておられるようです。
お昼の12時スタートの野外コンサートで、猛烈な暑さでしたが、音楽好きの方がたくさん集まり、ふえろう村の食材を使った、バーベキューを食べながら、和気あいあいとした雰囲気のコンサートでした。
私は、1時間ほどで仕事場に戻ったのですが、熱い思いを持った人たちが集まった場所で、音楽好きが集まった、熱いコンサートもエネルギッシュでいいものだと思いました。

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神戸の松尾ビル

神戸に出かける機会があったので、JR神戸駅近くの元町通6丁目にある松尾ビルに立ち寄りました。
松尾ビルは、大正14年に建てられた、大変古いビルですが、私が一番お気に入りのビル。
周りのホテルやマンションに取り囲まれ、今はひっそりとたたずむビルですが、古いながらもとてもモダンなビルで、窓の造りや、ステンドグラス、ヨーロッパ風の柱など、どこを切り取っても絵になるビルです。極めつけは、大正時代のエレベーター、蛇腹式の鉄格子のような扉と、時計のような階を示す表示板がなんともレトロ。そんなビルのせいか、アーティストや美術家の方がアトリエを構えておられ、ギャラリーなどアート関係の方が多く入居されています。
2階には、親しくしていただいているジュエリーアーティストの石原辰朗さんのアトリエ・タツがあり、とてもアーティスティックなジュエリーが魅力的でです。以前、同ビルの空き部屋で、写真家の加藤加奈さんが石原さんのジュエリーを身に着けた、外国人モデルの写真展をされた時は、アンティークな部屋の雰囲気とぴったりマッチして、本当に素敵でした。
ビルには、イラストレーターのWAKKUNこと湧嶋克己さんのアトリエ、そして近く、神戸のギャラリー北野坂で個展をしますと案内をいただいた、画家の領家裕隆さんのアトリエもあり、私は、ここが神戸で一番アーティスティックなビルではないかと思っています。

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ジャズピアニスト山下洋輔トリオのLP

今日、2月8日は、小説家 立松和平さんの命日。立松さんの本で思い出すこと。
立松和平さんの本「青春放浪」を読んでいると、本の中に私が好きなジャズピアニスト山下洋輔さんの若かりし頃、自主制作されたLPレコード「DANCING古事記」が製作された経緯が書かれていました。
レコード「DANCING古事記」は、1969年の学園闘争の真っただ中に、田原総一郎氏の企画で、山下洋輔トリオが早稲田大学 四号館内で演奏されたものをLPレコードにされたもの。
レコードは、立松和平さんがまだ売れない作家であったころ、有り余る時間を持て余していると言うことで、新婚住まいのアパートを事務所にして、山下洋輔さんらとともに、剣道仲間だった舞踏家の麿 赤児さんを代表にして、麿プロダクションと言う名前で製作されたもの。今ではビッグアーティストになっておられる方々の、なんとも初々しく、不思議な縁で製作されたものだったのです。
山下洋輔トリオの最初のLPレコードとしての存在は知っていましたが、偶然、立松和平さんの本で、その経緯を知るや、どうしても聞きたくなって、再販されたCDではなく、絶版のLPレコードを探して購入しました。
レコードに針を落とすと、その時代を彷彿とさせる臨場感と、迫力ある演奏に感動しました。
その後、山下洋輔さんのソロピアノコンサートに行った際に、ご本人からレコードジャケットにサインをいただき、大切にしています。
それにしても享年62歳、立松和平さんの死は早すぎます。

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